そんなに死刑にしたいですか?
昨日、「光市母子殺害事件」の差し戻し判決が出た。
判決は、死刑。
やはりと言うべきか、何と言うべきか。
この事件の遺族である夫M氏は、
事件直後より自身の被害感情をメディアで切に訴え、
終始一貫死刑を求めてきた。
そして判決はその通りになった。
1)遺族が彼だから死刑になったのでは?
彼は、教養もあり饒舌で、自分の心情や考えを
うまく表現できる人物である。
メディアに訴える覚悟も、長い間裁判に通う費用も
持ち合わせていた。
しかし、口下手で小心で、
経済的に恵まれていない遺族も大変多い。
彼の活動により世論が大きく動いたのは確かで、
もしそのことにより、裁判官の心証も変わったのなら
訴える能力を持たない遺族は、どのように救われるのか。
また、社会がどのような遺族の訴えを受け止めるかにより
被告人の命の行方が変わるならば、
被告人にとっても非常に不公平といわざるをえない。
彼は、「死刑が判例によって判断されることがおかしい。
個別の事案で判断されるべきだ。」
と言った。
個別の事案とは、事件そのもののなのか、
遺族の能力をも含むのか、はなはだ疑問である。
2)裁判は敵討ちではない
自分の大切な家族を殺されれば、
相手も同じように殺したいと思うのは
遺族として当然の感情だろうと思う。
そして被告人には弁護士がつく以上、
遺族の気持ちは検事に代弁してほしいし
裁判所には「正しいお裁き」をと思うのも
遺族ならば当然のこと。
しかしそれを、社会として
「そうだそうだ!」と同調して受け止めて
被害者の権利を増大させる方向に動いていいのだろうか?
聞けば、近いうちに被害者が
直接被告人に尋問できるようになるそうである。
裁判は、誰のためにあるかと言ったら
それは被告人のためといっても良い。
恣意に満ちたいい加減な裁きで
死刑だの島流しだのと言われ苦しんできた人々が
裁かれる場を獲得した権利の賜物である。
何物にもとらわれず、ただ その事実と被告人の声にのみ
耳を傾けるべきであり、
被害者の声は 出来る限り排除すべき場であるはずである。
3)【死刑】裁判員になったなら
死刑という判決は、当然ながらその後に、
その被告人の死が待っている。
死刑の是非をめぐっては、
「目には目を。命には命を。」という誰にも分かる、
納得できる考え方。
そして
「人を殺すのが犯罪なら、
その犯罪者を殺すのは、国家的殺人だ。」
という否定論などがある。
いずれにしても、
死刑という刑は、今存在しているわけで、
このままゆけば、おそらくこの事件の少年は
死刑が確定することになる。
もし自分が裁判員なら、この少年を死刑にしただろうか。
そうするということは、
自分が少年の死に積極的に参加することであり
自分が投じた1票が、
彼の生死を左右することになるのである。
そして、もしも参加した事件の被告人が冤罪だったら・・・。
冤罪だったら・・・私たちは無実の人の命を奪うことも充分に。


Comments